持寶庵のブログ

光明真言法にて、神佛へ感謝の御法楽、生きている方の滅罪と故人様・ペットちゃんの菩提を弔います。夢は保護猫ハウスを作ることです。町の行者です。霊感はありません。相互供養・相互禮拝。合掌

正しい信仰の基準1

故佐伯泉澄大僧正の『真言宗の正しい信仰の仕方』という本を、ご縁があって手に入れることが出来ました。
古い本で非売品ですが、現代のカルト問題への指針になりますので、何回かに分けてご紹介したいと存じます。

十、正しい信仰の基準(同著P43より)
 この前の昭和五十三年十一月には、南米のガイアナで、九百十四人の人が青酸カリで集団自殺をさせられたという事件がありました。あれはライフル銃やなんか持って包囲されていたので、逃げられなかったらしい。その教祖さんは妻子と共に自分でピストルを撃って死んでしまった。そういうように宗教というものは教祖さんがまちがっていたら、えらい目に遭うことがあるのでございます。
 それでは、どういう宗教、信仰が正しくて、どういうのが誤っているのか、ということを、申し上げてみたいと思います。これは私の考えている、正しい信仰と、間違っている信仰を区別する基準でございます。
(1)先ず第一に、お金がかかりすぎるのは、行き過ぎと思うのでございます。月々家計にひびくほどの多額のお金がいるような信仰では、末永く続くものではありません。このごろ月に何万円というほどお金がかかる、新興宗教があると聞いております。入っている方が
「もう苦しくて、毎月々々胸を痛めております。」といっておられるのを聞いたことがあります。どこのおうちでも、収入と支出を考えて、生活しておられるのでございますから、宗教にたずさわる者は、あまり負担をかけないように、配慮する必要があると思うのでございます。



※ここからは私見です
ご縁があって私がお手伝いに伺ったお寺に御祈祷に来られた方が、かつて霊能者と称する者に、不安を煽られ数百万円を支払ったが何も変わらなかったと仰っていました。
しかしながら、そちらのお寺にご縁が出来て常識的な金額でご祈祷を受けてから、状況は良くなったとのこと。
さて、不安を煽り多額のお金を要求するやり方は、古来より世界共通のようです。
そのような指導があれば速やかに離れると良いでしょう。
お金は人間の労働力と交換するためのもの、ということをお忘れなく。