持寶庵のブログ

光明真言法にて、神佛へ感謝の御法楽、生きている方の滅罪と故人様・ペットちゃんの菩提を弔います。夢は保護猫ハウスを作ることです。町の行者です。霊感はありません。相互供養・相互禮拝。合掌

正しい信仰の基準3

佐伯泉澄『真言宗の正しい信仰の仕方』(真言時事株式会社、1987年)44ページ〜46ページ

(3)次に、沢山いろいろな宗教があるのでございますから、お互いに他の宗教を認め合う調和の原理を、その教えの中に持っていることが、必要であると思います。もう信仰が一つ違ったら、ことごとに争いになり、けんかになるというのでは、具合が悪い。
なんのための宗教か、ということになります。お互いが仲良くやっていくことを、宗教は説がなければならないからでございます。
 だからといって、なんでもよい、という訳にもいきませんので、お大師様は、
「批判はしてよろしいが、誹謗はしてはいけない。」
と教えられております。
批判はいたしませんと、みなさんがえらい目(※関西の方言で、酷い目)に、被害にあわれることがありますから、申し上げるのでございますが、事実でないことを言ったり、あるいは大げさにして誹謗したりしてはいけないのでございます。宗教は一長一短でございますから、先の話の宗教でも、全く悪いというわけではありません。いい面もあるとは思いますけれども、あまりにもマイナス面が大きい場合は、批判をいたしまして、善良な人たちを守らなければならないのでございます。マァ宗教というものは、非常に啀み合いやすいという面がございますが、曼荼羅さんのように、たくさんの神様や仏様が一緒に仲良くいらっしゃるように、多くの人たちが調和して生きていく、調和の原理が必要でございます。そういう点で一神教というのは、他の宗教を認めないという闘争的な一面がございます。そうではなくて、
「私はお地蔵さんが好きや。」
「私は観音さんや。」
「私はお薬師さんや。」
「わいはお不動さんが好きや。」
というように、いろいろと好き好きがありますから、それぞれ他の人たちの好きな神様仏様を、お互いが認め合う寛容な和の教えが、いるわけでございます。そういう点で仏教、中でもお大師様の真言密教の教えには、曼荼羅さんの秀れた教理があるのでございます。



高野山霊宝館 胎蔵曼荼羅


※ここからは私見です。
天台宗様の円教という教えは、法華、浄土、禅、密教とその方に合うものを信仰すれば良いと伺ったことがございます。
私もそのように相手の信仰を尊重しておりますが、
カルト宗教やニセ霊能者は、他者の信仰を全否定する方が多いですね。
密教に関しては、日本に伝わって千二百年続いている教えです。
意味が無いものを人が選び続けることはありませんし、
一般の企業でも百年続くことは難しいです。
簡単に否定する方は、お勤めになったことがないのだろうか?と疑問に思います。