持寶庵のブログ

光明真言法にて、神佛へ感謝の御法楽、生きている方の滅罪と故人様・ペットちゃんの菩提を弔います。夢は保護猫ハウスを作ることです。町の行者です。霊感はありません。相互供養・相互禮拝。合掌

法華経密号 その参

頼富本宏 訳註(昭和59年3月15日)『弘法大師 空海全集 第三巻(初版)』、筑摩書房、430頁〜431頁
ルビと捕捉を同じカッコで使用した。
薩達磨芬陀利迦の音写は省略した。


 ひそかに思うのに、観自在菩薩は、はるか昔に仏となった。蘇達磨尾知耶(そたらまびじや)と音写し、十種の別称を備え持っていた。古い翻訳※では、正法明如来という。喩(たと)えていうならば、『妙法蓮華経』を、竺法護(じくほうご)の古い訳では、『正法華(経)』といい、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の新しい訳では、『妙法蓮華(経)』というようなものである。『法華経』の梵語の名称は、「薩達磨芬陀利迦(そたらまふんだりきゃ)」である。
語義解釈していえば、「薩(そ)」とは、妙という意味、正という意味である〈薩(さ)という字の発音は蘇(そ)と同じ〉。「達磨(たらま)」とは、存在物という意味である〈完全な音写としては、達羅磨という〉。
「芬陀利迦(ふんだりきゃ)」とは、白色の蓮華という意味である。新・旧両訳の表現が異なっているけれども、その意味内容は同一である。以上より明らかであるが、「蘇達磨尾知耶(そたらまびじや)」とは、正法明(如来)の梵語の音写である。
「蘇(そ)」とは「正」の意味、「妙」の意味である。「達磨(たらま)」とは「法」の意味である。「尾知耶(びじや)」とは「明」の意味である。
 要するに、つぎのことが知られる。『法華経』自体には、正法と妙法の旧・新二種の名称がある。観自在(菩薩)にも、また旧・新両訳に説く二種類の名前が存在している。このような理由で、『法華経』の中心は、実にこの観自在(菩薩)である。したがって、また「普門品」の中に、ただ観音の名前を唱えることだけを勧めて、『法華経』そのものの意図するところを表わしていない。なぜならば、観音の功徳を示すことは、そのままが『法華経』の教えであるからである。

※ 伽梵達磨訳『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』に正法明如来の名前をあげる(大正二〇・一一〇上)。


昭和新訂 真言宗常用諸経要聚