持寶庵のブログ

光明真言法にて、神佛へ感謝の御法楽、生きている方の滅罪と故人様・ペットちゃんの菩提を弔います。夢は保護猫ハウスを作ることです。町の行者です。霊感はありません。相互供養・相互禮拝。合掌

法華経密号 その弍

頼富本宏 訳註(昭和59年3月15日)『弘法大師 空海全集 第三巻(初版)』、筑摩書房、428頁〜430頁
梵字と読みは分かり易くするため原典に倣った。

 その(観音の)真言は紇里(きりく)という。この種字(しゅじ)真言は、四つの部分からなっている。(まず、第一の)ह(カ)字要素は、すべての存在の原因は認識できないという意味である。(第二の)र(ラ)字要素は、すべての存在は塵(ちり)や垢(あか)を離れているという意味である。塵とは、すなわち五種の感官の対象である。また、主観・客観の二種類のとらわれのことをも意味する。
(第三の)इ(イ)字要素は、自由自在であることを知り尽くせないという意味である。(第四の、涅槃点である)二点は、अः(アク)字という意味である。अः(アク)字のことを涅槃(さとり)というのはそのためである。すべての存在が、本来的には生起しないということを正しく認識するから、二種類(煩悩と所知の二つの執着)の誤ったとらわれがすべてなくなり、この実在的存在が清らかであることをさとるのである。
 ह्रीः(キリク)という字は、また、単語としては、「恥」という意味を持っている。人が、もし、恥かしいという気持を持てば、すべての悪しきことをしないで、その結果、すべての汚れなき善の根本を備えるのである。このような理由で、蓮華部を、別名、法部と呼ぶのである。このह्रीः(キリク)字の神秘的威力によって、極楽国土において、水鳥や樹木はいずれも真理の調べをかなでている。もし、ある人が(ह्रीः キリク という)一字の真言を身に保てば、すべての災いや、病いを除くことができ、生命が尽き終わって、後は、まさに極楽浄土に生まれて、阿弥陀如来の最高の位を得るであろう。
妙法蓮華経』の、広・略(観世音菩薩普門品のことか)両本の限りなき意味内容は、ことごとくह्रीः(キリク)の一字の中に包含されている。ところで、この経典は、観自在菩薩の究極の境地である。もし、この一字真言を唱えれば、実に『法華経』一部全体を誦持(じゅじ)する果報とまったく異なることはない。この『法華経』は、種字として見れば、ह्रीः(キリク)字一字に尽きる。象徴として捉(とら)えれば、『法華経』は、八つの花弁を持った蓮華の花である。特定の尊格としていえば、『法華経』は、観自在菩薩によって表現される。以上の、尊格と種字と蓮華は、いずれも『妙法蓮華経』を表しているのである。あるいは、『法華経』を諸仏の正しい智慧と呼び、あるいは諸仏の正しい見解と呼ぶこともできる。