花まつりの時期になると一番初めに入ったお寺(真言宗ではありません)での出来事を思い出します。
そちらでは、拝んでいない納骨堂に住むことになり、引っ越した初日の夜から、荷物を置いている隣の部屋で、誰かが話をする声や子供が走り回る音が聞こえてきました。
※当方に霊感はありません。寝泊まりした方が皆さん賑やかな場所と仰っていました。
その建物の2階にはお釈迦様の立像とご遺骨がたくさん納めてあり、あまり雰囲気が良くありませんでした。
あとから知ったのですが、難しい亡くなり方をされて末寺が拝みきれないため、何体もそちらの納骨堂に納めていたようです。
(生きている人間が住むのには向いてませんね)
私の前にお勤めされた方は非常に真面目できちんとされていましたが、辞められて暫く経っており、誰も拝んでいないのは間違いありません。
そこで1週間かけて部屋を綺麗に掃除しまして、
お花祭りをしないお寺だったので、
それではいけないだろうと思い、
小僧3人が少ない給料からお菓子を買ってお供えし、
そちらの御釈迦様に花まつりとして小さな法要を執り行いました。
しかしながら、入ったばかりですからよく拝む信徒さんくらいのお経しかあげられません。
宗派的に法華経のみでご真言もありませんでした。
ところが、皆んなでお経をあげているとどんどんと周りが明るくなっていきます。
そして、法要が終わった頃には暗い雰囲気の部屋が澄み切っています。
我々だけでしたら幻覚か何かかもしれませんが、
お手伝いに来ていた方も
「以前は入るのが怖い部屋だったが最近は何ともない」
と仰っていたので不思議なことが起きたのだろうと思います。
これはお釈迦様が実際にいらっしゃったのかもしれないと考えさせられました。
自我偈にある
「柔和質直者 則皆見我身 在此而説法」
のような出来事でした。
皆んな自分の欲ではなくお釈迦様の方を向いてましたからね。
それ依頼、私はお釈迦様と法華経への信心が湧きまして、花まつりで甘茶をかけさせていただく際には、お祝いと日頃のお礼を心の中で念じております。
南無釈迦牟尼
お釈迦様、いつも有難うございます。
合掌