持寶庵のブログ

光明真言法にて、神佛へ感謝の御法楽、生きている方の滅罪と故人様・ペットちゃんの菩提を弔います。夢は保護猫ハウスを作ることです。町の行者です。霊感はありません。相互供養・相互禮拝。合掌

正しい信仰の基準6

佐伯泉澄『真言宗の正しい信仰の仕方』(真言時事株式会社、1987年)49ページ〜51ページ


 なおもう一つ、近ごろの宗教では、霊能の開発を指導しているのが、多いようでございますが、これには危険な一面がありますので、注意が必要と思われます。日本の心霊科学の草分けをされた方は、浅野和三郎先生(1874-1937)でございますが、その後を継がれました脇長生先生(1870-1978)は、その著書「正しい健康・平和・繁栄への道ー霊魂の働きによる」(霊魂研究資料刊行会)の中に、『〔霊能は邪霊でも起こさせる〕霊能を起こさせるものには、善霊と悪霊とがある。・・・・・・霊媒だからといって、頭から信用するな。その霊媒の背後を先ず調べよ。』(九十五ー六項)と、述べられております。霊媒の背後霊を調べなかったら、その人のいうことを聞いたらあきません、と、こういわれております。正しい立派な善霊でなかったら、あかんというわけです。そこで先生の下で、一生懸命、精神統一をしている人たちに、
「あなた方の中で、目に視えたり、心で分かったりするような霊視霊聴現象が起きた時には、危ないから、気をつけなさいよ。背後霊を調査しない限り、絶対にいうことを聞いたらいけませんよ。」
と教えておられたのに、視えるようになった人があったのですと。いろいろなことが視えて、当たるわけです。
「私は視えて分るようになった。」
と、その人は思ってしまったのです。そして自分の故郷の山を視ると、その中に金鉱が視えるのですと。
「これを掘ったら、えらい金持ちになる。」
というわけで、掘ったわけです。ところが、掘っても掘っても、金が出ない。ひと財産ほってしまったわけです。そこで、とんで帰ってきて、
「先生、私はここで精神統一をしておりましたら、視えて当たるようになったので、分かるようになったと思いました。それで自分の故郷の山に金鉱が視えるから、掘ることにしたのです。ところが掘っても掘っても、ひとつも出てこない。視たら視えるから、もうちょっともうちょっとと掘って、全財産を使い果たして、パァになってしまいました。えらい目に遭いました。」
「だからあなたに、いっとったでしょ、こうやって精神統一をしていると、霊能が開けることがある。しかしこれは、あなたをひどい目に遭わせようという、悪因縁霊が働いていたのです。視えるということを信用させておいて、あなたを失敗させたかったのです。うまいこと信用させておいて、こうして背負投げをくらわして、あなたをひどい目に遭わせた。向こうはほくそえんで、『へへへェー』と笑っているわ。」と、言われたのです。
(同書・九五貢取意)ですからそういうように、霊能者に、悪霊が作用している時には、非常に危険である、ということを考えないといけません。ところが、悪霊であっても、多少、そういうように不思議を視せるわけです。不思議を視せるものだから、それに参ってしまうのですネ。ですから、霊能にも一長一短があること、危険があることを、よく知って戴きたいと思うのでございます。


※本文はここまでです
次回は、あとがきに重要なことが書いてありましたので、そちらをご紹介して終了します。

ところで、私の師匠によると過去を見るのは簡単で未来を見るのは難しいとのことでした。
霊能者を自称する方に出会ったら、
・過去や先祖のことで不安を煽る
・未来に起きることを尋ねて当たるかどうか
こちらで判断するのも一つの基準になるかと存じます。

合掌